那須芦野の遊行柳

この日は早乙女による田植えが披露された。

 

あとがき

 

小石川後楽園の西行堂近くに駐歩泉碑が建っている。水戸9代藩主斉昭が建てたもので、西行の歌にちなむ。

道のべに清水流れる柳陰 しばしとてこそ立ち止まりつれ

 

西行は生涯に二度奥州藤原氏を訪ねており、2回目の旅のおり、那須芦野で詠われたと言われる。このあたりに遊行柳があり、今も昔も旅人のオアシスになっている。

 

西行没後500年ほどして、芭蕉は奥の細道で遊行柳に立ち寄り、次の句を残している。

田一枚植えて立ち去る柳かな

 

芭蕉は西行の歌から「しばしとて」とはどのくらいの時間の経過があるのだろうと思った。早乙女が田一枚植え終わる時間の経過から最初にこの句を思い浮かんだのだろう。

そして、西行の歌から500年の時の経過を経て、幾人の旅人がこの地にやってきたことか?と思いを馳せた。

旅人の去った後に遊行柳だけが残る。

「しばしとて」とはもっと長い旅の時間を表しているのではないか。さらに言えば、芭蕉はこの地で奥の細道の冒頭部分を考えたのではないかと思われる。

 

月日は百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり

 

 

 

2014年8月から6年ほど京都を中心に西国を旅した。2020年の新型コロナ禍により、中断を余儀なくされたが、「みんなの西国巡礼」を2023年に私家版として出版し、一応の目的が達成された。

同時期に佛教大学四条センターにて重森千靑先生「庭園の美」を受講し、西国巡礼と併せて各地の庭園を訪ね歩いた。その数は優に百を超えていると思う。が、数をこなせばよいとは思っていない。全国に千を超える有名庭園があり、個人の庭園まで含めれば万を超え、ほぼ無数にあると言っても良い庭園をいくつ訪ねたといっても詮無いことだろう。

ここでは強く印象に残った21の庭園を取り上げているが、他にも名庭園はいくつもある。

 

重森千靑先生に会わなければ、この本は出来なかっただろうし、小石川後楽園で庭園ガイドをしなければ、重森先生にお会いする機会もなかっただろうと考えていけば、切りがない。

ここに名前をあげないが、ガイド仲間の協力もありがたかった。この本の出版には多くの人々がかかわっている。そのすべてに感謝したい。

 


遊行柳の石碑の先に西行、芭蕉らが休んだ遊行柳がある。

今も昔も旅人に木陰を提供している。

 

古びた案内板

 

 

代搔き作業の農民

 

 

小石川後楽園の駐歩泉碑

 

 

山側に鳥居が建っている。

左右に遊行柳がある。

 

早乙女の最年少は10歳

 

 

早乙女による田植えが始まる

 

 

小石川後楽園の西行堂跡