元慶寺への参道。

大変寂しい道だが、花山院の運命を考えると相応しいのかもしれない。

 

 

番外札所「元慶寺」

 

花山(かさん、かざん)天皇の出家にはいくつかの伝説がある。

大鏡(平安時代後期)「花山院の出家」によれば、大体次のようになる。

花山天皇は17歳で即位され、19歳で出家され、その後22年ご存命でありました。

ご退位なさった夜は月がたいそう明るく、目立ちすぎると逡巡されたようだ。

安倍晴明の家の前を通り過ぎるとき、晴明はそれを察し「帝がご退位なさると思われる天の変異があったが、すでになってしまったと思われる。参内して奏上しよう。車支度を早くせよ」という声を帝はお聞きになりました。

帝は花山寺への道を急ぎ、花山寺でご剃髪なされた。

 

これは実は藤原道兼の陰謀で、目的は一日も早く位を一条天皇に譲ることにあったが、三種の神器まで取り上げてしまえば、天皇の資格は失われたのも同然である。が、無邪気な帝はまだその時も気づかれなかった。

 

 

 

道兼は一緒に出家する約束でおびき出したのだが、天皇を元慶寺に送り付け、剃髪が終わると、口実を設けて逃げ出してしまった。

 

大鏡では花山寺と書かれているが、実際は華頂山元慶寺で出家した。現在、元慶寺のすぐ北隣に華山寺(かさんじ)があるが、混同される方もいるようだ。

花山院はここで2年を過ごした後、観音巡礼の旅へと出発した。

 

元慶寺の創建は貞観10年(868)、桓武天皇の孫である僧正遍昭により開かれた。本堂にはご本尊薬師如来を祀る。本尊を観音様としないからこそ、番外札所になっている。境内には百人一首でも知られる遍昭の歌碑が建つ。元慶寺からの帰路、花山(かさん)中学校と天智天皇陵に寄り道してみた。

 

あまつかぜ雲の通い路吹き閉じよ 乙女の姿しばしとどめむ

 

 


元慶寺の龍宮造りの楼門

 

僧正遍昭の歌碑

かなり新しいものに思われる。

 

花山(かさん)中学校。

校名に誇りを感じる生徒は多いだろうか。

 

元慶寺のこじんまりとした本堂

 

元慶寺の案内板。

かなり詳しく説明されている。

 

元慶寺の北隣の華山寺。

平安時代の初めに清和天皇が建立したとされる。