滝つぼまでの落差133メートル「那智大滝」

見るものを圧倒する迫力がある。

 

 

第1番「青岸渡寺」

 

縄文時代の信仰は分からないことが多いのだが、熊野信仰の起源は何かといわれれば、那智大滝(飛瀧神社)ではないかと思われる。のちに仏教が伝わると、もともとの信仰の地にお堂が建てられ、神社と仏堂は共存していくことになる。

 

補陀落山寺は仁徳天皇の時代(4世紀後半)にインドから熊野の海岸に漂着した裸形上人によって開山されたと伝わる。
同じく青岸渡寺も裸形上人による。縁起によれば、4世紀後半から5世紀、裸形上人が那智大滝で修行中、8寸の観音菩薩を感得し、草庵に安置した。のちに生仏(しょうぶつ)上人が自分で彫った如意輪観音像の胸に、裸形上人の観音像をおさめ、堂を建てたという。

 

信仰心の薄い現代人は観音信仰と言われてもよく分からない。分からないなりに、ただお参りすればよいと言う白洲正子さんの「西国巡礼」に触発されて、観音霊場巡りを始めた。
ここは裸形上人のたどったであろう道を補陀落山寺から飛瀧(ひろう)神社まで歩くしかないだろうと思い定めた。

 

 

 

前日の天気予報では生憎昼頃から雨になるとのことで、午前8時30分に補陀落山寺を出発して昼前に那智大滝(飛瀧神社)に着くように計画した。
浜の宮王子からどちらに行くかうろうろしながら、道標を見つけ熊野古道(曼荼羅の道)に入った。大変狭く、荒れた道ではあったが、途中尼将軍供養塔から市野々王子に9時40分に到着。市野々小学校でトイレ休憩をはさみ、大門坂(だいもんざか)に10時5分に到着した。大門坂からは杉の老木の中を快適に歩き、熊野詣の気分を味わうことができた。


熊野那智大社と青岸渡寺にお参りした後、那智大滝までの下り坂を飛ばし、11時15分に飛瀧神社に到達した。
聞きしに勝る落差133メートルの大滝は、縄文人も畏怖を覚えたことだろう。畏怖の心が信仰心のはじまりだと思う。大石と大滝、自然信仰の中でもこの二つは特に畏怖の心を育んだと思う。


衣食足りてのち、為政者が住居と庭園を求めるようになると、大石と大滝をどのように表現するかが、その時代の庭園文化の水準を決めていくことになる。


浜の宮王子(熊野三所大神社)。

左隣に補陀落山寺が並んで建っている。

 

竹林がなぎ倒されている。

こんな道が続く。

 

市野々王子。熊野古道沿いに多数あった小さな社「熊野九十九王子」の一つ。

 

青岸渡寺本堂(如意輪観音堂)。

手前のタブノキは推定樹齢700年とのこと。

 

ミツマタの花が咲いていた。

春さればまず三枝(さきくさ)の幸(さき)くあれば 後にも逢わむな恋ひそ吾妹(柿本人麻呂)

 

熊野古道の標識通りに進む。

ここから細い荒れた道になる。

 

荷坂峠の尼将軍供養塔(1218年の建立)。

源頼朝夫妻は熊野信仰が篤く、社寺の建立もしている。

 

大門坂から先は、杉の老木に守られながら、快適な熊野詣が楽しめる。

 

青岸渡寺の三重塔。

那智の大滝とのコラボが美しい。

 

飛瀧神社に11時15分に到着。

帰りは滝前バス停から11時46分のバスで紀伊勝浦に出た。