准てい観音が安置されている観音堂。

平成20年(2008)までは、ここから1時間ばかり登った上醍醐にあった。

 

 

第11番「醍醐寺」

 

仏教では死ねば生きていた時の業に従って六つの世界で輪廻転生するという考えがある。その六つの世界を六道といい、六道それぞれで救済してくれる観音を六観音という。

西国巡礼の場合、七種類の観世音菩薩がご本尊として祀られている。

 

地獄道(聖観音)

餓鬼道(千手観音)

畜生道(馬頭観音)

修羅道(十一面観音)

人間道(真言宗の場合、准てい観音)

人間道(天台宗の場合、不空羂索観音)

天道(如意輪観音)

 

准てい観音は西国三十三所では醍醐寺のみである。

山上の上醍醐は醍醐寺開創の地で、874年理源大師・聖宝が山上で霊泉「醍醐水」を発見し、そのほとりに草庵を建て、准てい観音像と如意輪観音像を祀ったのが始まりとする。

上醍醐の准てい堂は、平成20年(2008)落雷により焼失。准てい観音像は現在、下醍醐の観音堂に安置されている。

 

白洲正子さんの時代に西国巡礼を志す人々は、例外なく上醍醐を目指して、今の観音堂から1時間以上を要して登って行ったのだろう。

 

 

 

 

更に第12番「岩間寺」を目指して厳しい山道を辿っていった人々を思うと、西国巡礼は命がけで「修験道」そのものではなかったかと推察する。現代人には到底想像できない宗教観であろう。

私たちが微かに理解できるのは、山岳に漂う霊気と大岩がもたらす畏怖の念であろう。この畏怖の念が大岩の背後に神の存在を予感し、鳥居を建て手を合わせる古神道を生んだであろうことは理解できる。仏教が古神道の神域に入ってくるのには、更に気の遠くなるような長い時間がかかったであろう。

 

白洲正子さんの「西国巡礼」から引用する。

准てい堂から、さらに四五丁登ったところに、如意輪堂と開山堂がある。また登るのかと、うんざりしたが、やっぱり来てみてよかったと思う。東は遠く滋賀につらなる山並みが、北は音羽山から比叡へかけて、南は今来た宇治の方まで見渡せる。この次に行く岩間は、どのへんかしらと手をかざしてみる山々は、おりしも降り出した小雨の中に、複雑なひだをあらわし、天気の日には味わえないこまやかな風景である。

 

<参考図書>

マンガでわかる仏像(誠文堂新光社)2014年

西国三十三所を歩く(JTBパブリッシング)2015年

西国巡礼(白洲正子)講談社文芸文庫1999年

 


国宝の五重塔

 

国宝の金堂

 

弁天池の傍らに観音堂は建っていた。

 

醍醐寺三宝院庭園の詳細については、別途紹介する予定なので、そちらをご覧ください。