第15番「今熊野観音寺」

赤い橋を渡ると聖域に入ることになる。

 

 

第15番「今熊野観音寺」

 

白洲正子さんが西国巡礼を始めたのは1964年東京オリンピックの頃だという。オリンピックの喧騒に湧きかえる都会を逃れるように西国を巡礼し、翌年3月「巡礼の旅―西国三十三所」という表題で淡交社より刊行した。

2020年、東京オリンピックは延期(中止?)になり、新型コロナウイルスが流行する中、50年以上の時を隔てて西国巡礼してみると、白洲正子さんの文章が瑞々しくその鮮度を失わずに胸に迫ってくるのが、不思議と言えば不思議だ。

 

白洲正子さんの「西国巡礼」から冒頭部分を引用する。

京都市電の東山線に今熊野という停留所があることは知っていた。そこに、神社があり、大きな木が繁っていることも気がついていた。が、別に「今熊野」と呼ばれる寺が、道を隔てた泉涌寺のかたわらにあることを、私は今日まで知らなかった。いうまでもなく、明治の廃仏毀釈と、道路工事の犠牲になって、神社との仲を完全にさかれただけでなく、小さな谷間に追い込まれたというわけだが、市中にありながら、この寺の寂れた風情には、あせた漆絵の趣がある。

 

 

 

創建も明らかでないというが、寺伝によると弘法大師が、東山で、一人の老翁に会い、十一面観音像を与えられ、「我は熊野権現」と名を明かすかとみるや消え失せた。

大師はただちに嵯峨天皇の勅を奉じて、ここに一寺を建立し、観音寺と名付けたが、その時、錫杖で岩根をつくと、清水が湧き出たので、これを「五智水」と呼び、今に至るも滾々として尽きることがない。(以上「西国巡礼」より)

 

本堂の横手から裏山にかけて小さな社みたいなお堂が点々と続き、どうやら、西国33所の模型らしい。こういうしつらえは巡礼地にはよくある光景で、今までは無視してきたが、本日は気持ちを入れ替えて裏山を巡礼し、お祈りしてみた。

西国巡礼を再開しては見たものの、今後再び西国巡礼の旅に出ることは叶わないかもしれない。回った巡礼地の数は半分を優に超えてはいるが、結願までにはまだ10カ所くらいある。この後何が起こるか誰にも分からない。巡礼は終わりなき旅だともいわれるし、先のことはだれにも分からない。万が一ここで巡礼が途切れても、観音様には大目に見ていただきたい。観音信仰はそれくらい寛大なものではないだろうか。

 


泉涌寺の山門を入っていくと左手に目指す「今熊野観音寺」の標識が現れる。

 

十一面観音が祀られている本堂。

悪病消除の願いが叶う。

 

三十三所の観音が祀られている。

ここを回れば、西国巡礼したことになる。

 

裏山の行き止まりには多くの祠がかたまっていた。

どこかは知らねど、ありがたく合掌。

 

お大師様が子供と戯れている姿がいい。

奥の紅葉が早くも色づき始めた。

 

70歳以上はボケ封じ観音が霊験あらたか。

私は個人的にお祈りする。

 

第16番「清水寺」

ところどころの祠には、寺の名前が明示されている。

 

比較的新しい多宝塔が裏山に建っていた。

医学界に貢献した人々が祀られている。