施福寺本堂。幕末の安政年間(1854~1860年)頃に再建された。
お前立の千手観音が右手に見える。
第4番「施福寺」
第3番札所「粉河寺」から第4番「施福寺」への葛城山越えが、今も昔も西国巡礼屈指の難所になっているらしい。西国巡礼中興の祖である花山法皇は巡礼の途中、あまりの山の深さから道に迷ったという伝説が残る。もっとも現在、このコースを通る巡礼者は少数で、大阪府泉中央駅からバスに揺られ、槇尾山口から施福寺に入るのが一般的である。
施福寺は弘法大師空海が得度受戒した寺とも伝えられ、参道の途中には「弘法大師姿見の井戸」や、大師の剃髪所跡という愛染堂、その御髪を納めた御髪堂などもある。
白洲正子さんの「西国巡礼」から引用する。
ここは欽明天皇勅願の寺で、創建は仏教伝来とほとんど同時期である。その後、山岳仏教と結びつき、一時は隆盛を極めたが、南北朝ごろから戦乱の巷と化し、さらに信長の焼き討ちにあって、まったく昔の面影を失った。根来寺も粉河寺も、信長や秀吉に滅ぼされている。お寺の勢力が強すぎたというわけだが、西国巡礼の札所には、そういうところが多いのである。(以上引用)
施福寺へはバス停槇尾山口から4キロほどの行程だが、仁王門からは厳しい山道や階段が続き、1時間30分ほど要したのではないか?参道には左右に石垣が組まれ、かつては塔頭がいくつも建っていたのではないかと推察される。
施福寺の本堂には本尊の弥勒如来が座し、向かって右に文殊菩薩、左に十一面千手観音立像が安置されている。
本堂の広場に出ると、葛城山系が眺望でき、粉河寺はあの山の向こうにあるのだろうと想像を膨らませることができる。
日本独自の発展を遂げた山岳仏教には、古神道の神々が時折顔をのぞかせる。
仏教における「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」と古神道「森羅万象悉く神宿る」の間にはなんら差異はないように思われる。
<参考資料>
白洲正子「西国巡礼」講談社文芸文庫1999年
槇尾山「施福寺」4㎞表示が見える。
目的地まで、1時間30分。意外に時間がかかる。
仁王門から先が厳しい坂道と階段。
登山用のしっかりした靴が必要だろう。
弘法大師御剃髪所跡。
現在「愛染堂」になっている。
本堂正面。
月曜にもかかわらず、参拝者が多い。
小さな秋を見つけた。
今年は暖かい秋で色付きが遅い。
途中道端に石仏が多数現れる。
中にはかなり古い時代のものも混じっている。
時折、道の両脇に石垣が現れる。
昔の塔頭跡ではないかと思う。
残り二丁が急な階段で最後の難所。
この上に施福寺本堂がある。
本堂正面方向に広場がある。
葛城山系が見える。粉河寺はどの方角だろう。
登った道を下るだけ。
コロナ禍で足腰が弱っているせいか、下りがきつい。