山口坐(やまぐちいます)神社辺りの初瀬川。

森厳とした気が漂い、日本神話の源流を思わせる。

 

 

第8番「長谷寺」

 

新型コロナウイルスの流行で外出自粛が続き、第7番「岡寺」から5か月以上が経過してしまった。今回久しぶりに巡礼したが、三十三所をこのまま巡礼できるかどうか分からない。

もともと何となく始めた「西国巡礼」であり、すべて回り終えなくても構わないとも思う。

 

第8番「長谷寺」は約1300年前に西国巡礼を始めた徳道上人に縁の深いお寺であり、徳道上人終焉の地でもある。そのため、長谷寺はかつて一番札所であったとも聞く。そんなことに思いを巡らし、西国巡礼を再開しようと思う。この半年の間に世界は新型コロナ禍に巻き込まれ、西国巡礼に新たな目的が追加された。

 

白洲正子さんの「西国巡礼」から引用する。

「こもりくの泊瀬」は古代大和の人々にとって、異郷の国であるとともに、葬送の地でもあった。

泊瀬道は、吉野からも、伊勢、伊賀からも、重要な交通路に当たったため、早くから開け、長髄彦(ながすねひこ)や八十梟帥(やそたける)の住んでいた山とか、雄略天皇や武烈天皇の宮跡とか、歴史的にも秘められていることが多い。

 

(注)観光案内所でもらった「長谷寺門前町まちづくりマップ」によれば、「こもりく」は「隠口」と書き、泊瀬は「はつせ」とルビが振ってある。

戦後生まれの私たちには馴染みの薄い人物が列挙されているので、少々補足しておく。

長髄彦(ながすねひこ)は日本神話に登場する人物。神武天皇の東征に抵抗した大和の指導者のひとり。

八十梟帥(やそたける)も長髄彦と同じく神武天皇に抵抗して切り殺されている。固有名詞ではなく「数多くの勇者」という意味で用いられている可能性もある。

 

雄略(ゆうりゃく)は21代天皇で、日本書紀では大泊瀬幼武天皇(おおはつせのわかたけのすめらみこと)と表記される。ワカタケルともいわれ、「宋書」では倭王武と表記され、5世紀末ごろに実在したと思われる。また、埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した鉄剣銘には「ワカタケル」と読める「漢字」が刻まれていて、自ら「治天下大王」と名のって関東にまで影響力を行使していたことが、考古学的に実証されている。

 

 

 

武烈(ぶれつ)は第25代天皇で、日本書紀では小泊瀬(おはつせ)わかさざきの天皇と表記される(適当な漢字が見つからないのでひらがな表記)。暴君であったことで有名。

いずれにしろ、この二人の天皇の本拠地(宮)が泊瀬にあったことを暗示している。

 

白洲正子さんの「西国巡礼」からもう少し引用する。

古くは泊瀬、または初瀬と書いたが、のちに長谷とも書くようになり、現在では場所は泊瀬、寺には長谷の字を当てている。字面というのは不思議なもので、泊瀬と書くと、森厳の気が漂うが、初瀬や長谷から私たちが連想するものは、満開のさくらの明るい景色である。

(中略)

徳道上人の廟所は門前町を少し下った南側にある。正しくは「法起院(ほうきいん)」と称し、ささやかなお堂と、石塔が、崩れたままで残っている。上人が、閻魔王の啓示を受け、巡礼を思い立ったのは、ここであろうか。ここでなくても、こんな風な庵室だったに違いない。七堂伽藍が美々しくととのった長谷寺より、この寂れたお堂の方が、今度の旅では印象に残った。(以上、白洲正子「西国巡礼」より)

 

初瀬川の流域には幾つかの神社があり、人通りの少ない神社の森に入ると静かで、森厳な雰囲気が漂う。最初に立ち寄ったのが、持参したガイドブックにも記載されていない「長谷山口坐(はせやまぐちにいます)神社」で大山祇神(おおやまつみのかみ)が祀られている。大山祇神は大山に住む即ち大山を司る神で、日本書紀によれば火の神「加具土神(かぐつちのかみ)」が切られて生まれた五山祇の筆頭とある。いずれにしろ、この辺りは古代日本神話が今も息づく聖域であろう。

 

仏教伝来後、元々の神々の聖域に寺院が建立されることにより、日本の仏教は発展してきたといえるだろう。観音信仰も日本の神々抜きには考えられない。

 

<参考図書>

白洲正子「西国巡礼」講談社文芸文庫1999年

「西国33所をあるく」JTBパブリッシング2015年

 

 

 


長谷山口坐(はせやまぐちにいます)神社。

ガイドブックに載ることも少ない寂れた神社である。

 

井谷屋旅館。

こちらは旧館で、新館は道の向かいにある。

 

長谷寺仁王門。明治2年(1889)再建。

扁額は後陽成天皇の御宸筆。

 

本堂にはご本尊十一面観音が祀られている。

高さ10メートルほどの立像で、圧倒的な迫力がある。

 

長谷寺本堂舞台から見た五重塔。

明治期に三重塔が焼失し、昭和29年に五重塔が造られた。

 

極楽は他所には有らじわが心 同じハチスの隔てはあるや

徳道上人は達観した歌詠みでもあったらしい。

 

案内板があるので、由緒ある神社であることがわかる。

初瀬川のもとの名前は「神河」らしい。

 

古い町並みで、時には魔よけの鍾馗様に出会える。

中国道教の系統で、関西ではよく見かけるとのこと。

 

有名な登廊。

長暦3年(1039)平安時代に造営された。

 

清水寺などと同じく懸崖造り。

右手に五重塔が見える。

 

右から大悲閣と書かれている。

観世音菩薩を安置した仏堂のことをいう。

 

法起院境内の聖観音菩薩。

どことなくユーモアのある風貌である。