補陀落の庭「龍潭寺(りょうたんじ)」
左の高い立石が観音菩薩を表す。右下に補陀落浄土に到達した渡海船が見える。
龍潭寺は彦根井伊家の菩提寺の一つで、浜松にも同名の寺院がある。
補陀落(ふだらく)の庭「龍潭寺(りょうたんじ)」
仏教では仏の数だけ浄土があるとされている。
太陽の登る方には薬師如来のおわす瑠璃光浄土があり、日の沈む方角には阿弥陀如来の住む極楽浄土があるとされる。そしてはるか海の向こうには観音菩薩のおられる補陀落浄土があるとされる。熊野南端の海岸から補陀落浄土を目指し、生きながら船に乗って往生しようとした人々が868年から1722年の間に20回渡航したと「熊野年代記」にある。
はるかなはるかな見知らぬ国へ
ひとりで行く時は船の旅がいい
1972年にリリースされた井上陽水の「つめたい部屋の世界地図」は意図したかしなかったか分からないが、補陀落渡海を思わせる。この曲に引き付けられた当時はよく分からなかったが、絶望の中に希望を見出すような曲であり、今聞いてみて自分の葬儀の時にかけてほしいと思う。
龍潭寺の南庭全景
渡り廊下の奥に観音堂
渡り廊下の際から撮影
不安定な石がなく、安心感のある庭になっている。
渡海船
白砂は大海を表す
補陀落の庭はまさに補陀落渡海をテーマにしているような庭で、ご丁寧に渡海船が補陀落浄土に到着した様子が再現されている。龍潭寺のパンフには補陀落山寺を建てて観音菩薩を安置した慧蕚(えがく)の船と見立てられているが、そこまで固有名詞にこだわることはなく、むしろ補陀落渡海した誰かの船と見立てた方が庭園鑑賞に深みが増すような気がする。補陀落浄土を目指してやっと渡海に成功した、浄土にたどり着いたという安心感が庭園全体に至福の雰囲気を醸し出している。
江戸時代初期の作庭とされるが、モダンで斬新にさえ思える。
龍潭寺は禅宗を学ぶ道場として有名で、修行の一環として「石を立てる」つまり庭造りが奨励された。龍潭寺で造園を学んだ僧は石立僧として日本各地の禅宗寺院の庭造りを行ったと言われている。
補陀落山の奥に杉垣
水平線を表すとされる
三尊石組みの手法を用いている。
右側の石が補陀落山を表しているか?
じっと見ていたらアオジが寄ってきた。
慌てて撮ったのでピントがずれている。
那智の補陀落山寺を訪れたときに見た「渡海記念碑」
熊野年代記によれば、868年から1772年の間に20回渡海が試みられたという。