強風のなか揺れる観光船から撮った竹生島。

右奥に見えているのは滋賀県の最高峰「伊吹山」標高1377m

 

 

第30番「竹生島宝厳寺(ほうごんじ)」

 

神は辺境にあり。

たどり着くのに困難であるか、あるいは遠くてたどり着けない場所には聖なる何かがある。

現代社会はスピードと経済効率に支配されていて、たどり着けない場所はないように思われる。神の居場所もどんどん辺境に追いやられているのが現代日本だ。

 

その日は風が強く、近江今津から竹生島経由で長浜に向かう便は欠航が決まっていた。今津と竹生島を結ぶ便も欠航が相次ぎ、次の便が今日最後の便になるということで、乗り込んだはいいが揺れに揺れて、場合によっては上陸せずに引き返すこともあるという。

たどり着けるかどうか分からない、そんな心細い思いが竹生島を「神の島」にしたのかもしれない。

 

波止場でもらったパンフには次のようにある。

竹生島は長浜市にある周囲2キロの島で、琵琶湖で沖島に次いで2番目に大きい島です。島の名前は「神を斎(いつ)く島」に由来し、その中の「いつくしま」が「つくぶしま」に変じ「竹生島」になりました。

 

 

宝厳寺の本尊は大弁才天と千手千眼観世音菩薩で、それぞれ本堂と観音堂に安置されている。弁財天はもともとインドの川の神で、後に梵天の妃となったが、広く信仰され、これが仏教に取り入れられて音楽・知恵・財富・長寿などを司る女神となった。竹生島では弁財天が先に安置され、後に観音堂が建てられたと思われる。

 

縁起によれば、神亀元年(724)聖武天皇の勅願で行基上人が堂塔を建立し、弁財天像を祀ったのが始まりという。翌年には観音堂を建てて千手観音を安置した。以来、観音霊場、弁財天信仰の聖地として崇められてきた。

 

観音堂の入り口には国宝「唐門」が修復を終えて美しく建っている。もともとは豊臣秀吉が大阪城極楽橋に建てたもので、秀吉死後に京都東山の豊国廟に移築され、関ケ原の戦いの後に豊国廟が破却されるにあたり、竹生島に再度移築されたという因縁の建物だ。ちなみに豊国廟は後に徳川秀忠などの尽力により、破却自体は免れている。

 

都久夫須麻(つくぶすま)神社の本殿もまた国宝指定されている。秀吉の伏見城「日暮御殿」を神殿として寄進したもので、内部は狩野永徳・光信親子による天井絵・襖絵をはじめ、高台寺蒔絵の柱・長押など建物すべてが極彩色に飾られている。

 


つらい急こう配の階段が続く。

聖なる場所は簡単にはたどり着けない。

 

桜が咲き始めたところだ。

琵琶湖があるおかげで春は遅い。

 

鮮やかな朱色の三重塔。

平成12年に約350年ぶりに再建された。

 

観音堂を出ると舟廊下になる。

確か戦前は国宝だったような気がする。

 

海から遥拝できるように鳥居が立っている。

今は「かわらけ投げ」で有名。

 

ようやく最初の目的地が近づいてきた。

あとひと踏ん張り。

 

ご本尊は秘仏で次回の御開帳は2037年。

60年に一回の御開帳だ。

 

2020年春に修復された唐門。

6年前に訪れた時との一番大きな違いはこちら。

 

国宝「都久夫須麻(つくぶすま)神社本殿」

狩野永徳の絵画は残っているものが少ない。

 

帰りにミツマタの花が咲いていたので撮影。

早春を感じさせる黄色い花。