檜皮葺の屋根が美しい。

手前から護法権現社拝殿、三仏堂、本堂、三重塔と連なる。

 

第31番「長命寺」

 

白州正子さんの「近江山河抄」から引用する。

近江の中でどこが一番美しいかと聞かれたら、私は長命寺のあたりと答えるであろう。

初めて行ったのは、十年ほど前、巡礼の取材に廻っていた時で、地図をたよりに一人で歩いていた。近江八幡のはずれに日牟礼(ひむれ)八幡宮が建っている。その山の麓を東に廻って行くと、やがて葦が一面に生えた入り江が現れる。歌枕で有名な「津田の細江」で、その向こうに長命寺につらなる山並みが見渡され、葦の間に白鷺が群れている景色は、桃山時代の障壁画を見るように美しい。最近は干拓がすすんで、当時の趣はいく分失われたが、それでも水郷の気分は残っており、近江だけでなく、日本の中でもこんなにきめの細かい景色は珍しいと思う。(以上引用)

 

「琵琶湖周航の歌」にはめったに歌われることのない6番の歌詞があり、「西国十番長命寺」と歌いだす。現在「西国十番」は三室戸寺であり、どうなっているのだろうと近江八幡の観光案内所で尋ねてみた。どうもよくわからないようで、調べてみたがはっきりしない。

 

平安時代後期に活躍した園城寺(三井寺)の行尊(ぎょうそん)は「観音霊所三十三所巡礼記」のなかで、長谷寺から巡礼を開始し、二十番長命寺、三十三番三室戸寺で巡礼を終えている。この頃は順番が定まっていなかったようだ。

また私の友人は歌いやすいからではないかと軽く答えていた。あまり深入りせず分からないものは、分からないままにしておくのが良いのかもしれない。

 

 

 

 

寺伝によると、長命寺は、景行天皇の御代に、武内宿禰がここに来て、柳の古木に長寿を祈ったのが始まりである。その後、聖徳太子が諸国巡遊の途上、この山にたちより、柳の木に観世音菩薩を感得した。その時、白髪の老翁が現れて、その霊木で観音の像を彫ることを勧めたので、寺を造って十一面千手観音を祀り、武内宿禰にちなんで「長命寺」と名付けた。歴代の天皇の信仰が厚く、近江の佐々木氏の庇護のもとに発展し、西国三十一番の札所として栄えた。

 

境内の建物はほとんどが檜皮葺で瓦屋根に慣れた都会人を落ち着いた気持ちにさせる。境内の奥には「太郎坊大権現」の社があり、大岩の直下に礼拝所がある。大岩が信仰の原点であり、その後大陸から仏教が入ってきたことをうかがわせる。

 

「太郎坊」といえば、近江鉄道で近江八幡から数駅先に「太郎坊・阿賀神社」があることを思い出し、寄り道を楽しむことにした。

社伝によれば、今から約1400年前の草創。鎮座地の赤神山(太郎坊山)は岩石が露出し、見るからに神秘的な神宿る霊山であると信じられてきた。天地万物を崇め、自然の恵みに感謝する神道の教えの中で最も典型的なのがこの神体山信仰・岩境(いわさか)信仰であり、今も山上には奥津磐座(いわくら)、山麓には辺津磐座としての祭祀場が存在している。

太郎坊とは一般的に大天狗を指すが、長命寺の場合は僧の普門坊が寺を守護するために大天狗になったという伝説がある。阿賀大社の太郎坊も同じ大天狗を指すと思われる。

 


琵琶湖周航の歌。

6番は「西国十番長命寺」で始まる。

 

修多羅岩(すたらいわ)

武内宿禰のご神体とされる。

 

太郎坊大権現の古い石の鳥居。

 

琵琶湖中央の奥に三上山(近江富士)が見える。

 

太郎坊山の全景。

 

夫婦岩の隙間は狭い。

ここで生まれ変わって、また娑婆に出ていく。

 

西国三十一番長命寺。

ここから長い階段が始まる。808段あるそうだ。

 

太郎坊大権現の拝殿。

大岩(飛来石)が覆いかぶさるようだ。

 

鐘楼から太郎坊拝殿越しに琵琶湖が見える。

 

鳥居の中に太郎坊山が見える。

 

中腹に夫婦岩がある。

 

生まれ変わって出てきた。